【今月の一冊:2018年4月】

2001年に公刊された、5部構成16章からなる中央アメリカのおもにホンジュラス西部村落とグアテマラで展開していた国際保健と土着医療の関係、さらにそれらを分析する医療人類学の来歴に分析の焦点をあてた民族誌である。

著 者は1984年、我が国の国際協力事業団(現、国際協力機構)青年海外協力隊員として中米ホンジュラスの保健省に派遣され、首都でのマラリア、デング熱の 疾病対策活動を経て、1985年から2年間ドローレスという標高千メートルの山地の小村で地域保健活動に従事した。この体験を原点に1988年から 2000年にわたって発表してきた論文をこの著作に盛り込んで大幅に書き換えたものである。

5 部16章の各部(各章の表題は括弧内で示す)は次のような構成になっている。1.医療人類学と国際保健(医療人類学、健康の開発史、世界医療システム)、 2.医療体系論(制度的医療論、医療的多元論、医療の動態的過程)、3.疾患の民族誌(村落保健、民俗的疾病概念、食生活、自己投薬)、4.疾患と健康 (疾患の文化的解釈 I、疾患の文化的解釈 II、健康の概念)、5.コミュニティ参加と現代社会(コミュニティ参加の保健プロジェクト、「医療と文化」を再考する、結論)である。なお巻末には、現 地薬草のリスト、保健普及員への研修、村落保健関連用語集ならびに、「医療」の定義とその研究アプローチに関する図式が付されている。

こ の書物の独自性は、通常の民族誌のような特定の社会集団が対象ではなく、中央アメリカ地域に対する医療援助協力という社会現象とそれに関わる人びとの動きがその記述の対象になっており、その中に保健医療協力のボランティアであった著者自身を含んでいることである。陰に陽に現れる本書執筆の動機のひとつに、 それまでの医療人類学文献における文化概念の取り扱いが、どちらかというと文化主義的主張に偏り過ぎているという著者の認識があり、それに代えて健康の政治経済学(polotical economy of health)的アプローチを実践することがあげられる。そのため、健康の文化人類学的研究はさまざまな角度から開かれていると称しつつも、筆者の主張が 毒々しく露わにされ、民俗病因論に関しても文化主義的な説明が極めて希薄で、詳細なデータが提示されたままになっているという批判も可能だ。政治的メッ セージが見事に凝縮した結論の部分は読者を複雑な気持ちにさせられるが、読者はこの部分の正当化のために、国際医療協力における現地と外部のさまざまな エージェントに関する民族誌記述を読まされるはめになると言っても過言ではない。

そのような一定の読みから解放され、もし本書の良質な部分 の議論を読みたければ、13章「健康の概念」の一読をすすめよう。健康と病気の民俗意味論的な非対称性から出発した議論が、健康の概念が注入されるべきイデオロギーであるという発見につながり、その理由が2つの国家医療制度の差異から明らかにされる。このような議論展開は、静態的な文化システムから現地の 病気観や医療行動を整合的に説明しようとする文化主義的な説明と相容れにくいだろう。かといって近代医療に違和感をいだく現地の人たちをすべて抵抗する主 体とみなすことにも著者は逡巡している(あとがき参照)。結局のところ著者が描きたかったのは、医療というアクターが作動する領域においては、保健の実践 家も対象となる住民も、またそれらを観察する医療人類学者も、その社会的相互作用に参入し活動するなかで、さまざまな主体を形成しているという現状報告で ある。それが実態として、読む人によりさまざまな解釈を誘導するのだという自己反省的な意識に到達するというメッセージが込められている。巻末の用語集、 「疾患と医療のモデル」という一枚の図表と6つの箇条書、こと細かい索引、著者とインフォーマントが肩を組む2枚の写真(yugoとは軛[くびき]のこと である)などは決して付け足しではなく、このような医療の複雑さに関する著者なりに計算された表現なのである。

(本人許可を得て「池田光穂のウェブページ」より転載)

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